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2019/1/29

「存在の男」展 第4弾 家庭人としての関口存男

心待ちにして頂いた皆様、ご案内が遅れて申し訳ありません。
大変お待たせいたしました。「存在の男」展、第4弾始まります。

関口存男の魅力を、これまであまり語られなかった4つの切り口で紹介する「存在の男」展。
第4弾は「家庭人としての関口存男」です。

1894(明治27)年、姫路で生まれた関口存男は、大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1913(大正2)年、陸軍士官学校に入学します。卒業する頃に胸膜炎を患い、「陸軍大学はどうせ体格でペケにきまっている、陸軍大学が駄目なら軍人をやったって仕様がない……こう思って、二十一歳で方向転換をしたのです」(「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?」より抜粋)。

1916(大正5)年、21歳で結婚、そして秋には上智大学哲学科に入学しました。このころから、精力的に演劇活動、翻訳活動に邁進します。1922(大正11)年、27歳の時に法政大学予科講師になり、ここで「ドイツ語の関口先生」としてのキャリアが始まります。とはいえ、演劇の世界から遠ざかったわけではなく、学生演劇の指導や、東山千栄子の舞台(1934(昭和9)年)演出をするなど、多彩な活動は続けられました。

対外的には八面六臂の活躍をし、研究生活では、一分一秒を惜しみ、一心不乱に取り組んだ関口存男ですが、彼は幼い頃に姉と弟を亡くし、自身の四女を11歳で失い、その後生まれた四女に面差しが似ていたという孫も若くして亡くすという経験をしています。死の影は生涯、頭から離れなかったようです。

彼の幼少時代、そして家庭での様子はどのようなものだったのでしょうか。
息子として、夫として、父として、祖父として…、
関口存男の知られざる素顔を、書簡や愛用品、そして数々の写真を縁(よすが)にご紹介いたします。

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