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2019/3/18

【会期延長】「存在の男」展 第4弾家庭人としての関口存男

「存在の男」展第4弾「家庭人としての関口存男」は3月末日までの予定でしたが好評につき、4月22日まで会期が延長となりました。

関口存男の魅力を、これまであまり語られなかった4つの切り口で紹介する「存在の男」展。
第4弾は「家庭人としての関口存男」です。

1894(明治27)年、姫路で生まれた関口存男は、大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1913(大正2)年、陸軍士官学校に入学します。しかし、卒業する頃に胸膜炎を患ってしまいます。
「陸軍大学はどうせ体格でペケにきまっている、陸軍大学が駄目なら軍人をやったって仕様がない……こう思って、二十一歳で方向転換をしたのです」(「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?」より抜粋)

1916(大正5)年、21歳で結婚、そして秋には上智大学哲学科に入学しました。このころから、精力的に演劇活動、翻訳活動に邁進します。1922(大正11)年、27歳の時に法政大学予科講師になり、ここで「ドイツ語の関口先生」としてのキャリアが始まります。とはいえ、演劇の世界から遠ざかったわけではなく、学生演劇の指導や、東山千栄子の舞台演出(1934(昭和9)年)をするなど、多彩な活動は続けられました。

対外的には八面六臂の活躍をし、研究生活では、一分一秒を惜しみ、一心不乱に取り組んだ関口存男ですが、彼は幼い頃に3人きりのきょうだいの姉と弟を相次いで亡くし、長じて自身の四女 昭子は11歳で他界、昭子の死の翌年に生まれた孫の敬子も15歳で喪うという経験をしています。死の影は生涯、頭から離れなかったようです。

彼の幼少時代、そして家庭での様子はどのようなものだったのでしょうか。息子として、夫として、父として、祖父として…、関口存男の知られざる素顔を、書簡や愛用品、そして数々の写真を縁にご紹介いたします。

 

企画・運営 三修社

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